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横綱・白鵬

プロフィール

しこ名 白鵬 翔
所属部屋 宮城野部屋
得意技 右寄つ・寄り・上手投げ
出身地 モンゴル・ウランバートル
身 長 192㎝
体 重 151kg
生年月日 1985年3月11日
最高位 第69代横綱
幕内優勝 45回

初土俵から横綱昇進まで

15歳で宮城野部屋に入門して入門当時は身長175㎝・体重68kgでした。

序の口

初めて番付に載って序の口で挑んだ場所は3勝4敗と負け越し。
その次の場所から15場所連続勝ち越しをしました。

十両

2004年1場所十両【関取】に昇進。 新十両の場所は9勝6敗と勝ち越し。
2004年3月場所に13勝2敗で優勝 決定戦となり、その対戦相手が追風海【追手風部屋】関でその結果、 白鵬が寄り切って初の十両優勝を果たしました。

幕内

2004年5月に幕内に昇進。
19歳1か月での新入幕は貴花田【後の横綱・貴乃花】や北の湖、花田 【後の大関・貴ノ花】に次ぐ当時史上4位の若さだった。
新入幕の場所は12勝3敗と二桁勝利をし、初の敢闘賞を受賞した。 次の場所にも11勝4敗と2場所連続で二桁勝利。
2004年9月場所には前頭3枚目となり、幕内上位で挑む場所になった。 その場所は横綱・大関にはまけてしまったが、8勝7敗で勝ち越し。
そして2004年11月には前頭筆頭で、1横綱【朝青龍】・2大関【武双山・魁皇】 に勝って11月場所は12勝3敗で敢闘賞を受賞した。

三役

平成17年1月場所に新三役・小結に昇進した。
初日から横綱戦【朝青龍】で初日黒星しましたが、そこから2大関【魁皇・千代大海】 に勝って10日目に勝ち越し。
12、14、15日目に白星を挙げて11勝4敗で2桁勝利し、技能賞を受賞した。
平成17年3月に関脇に昇進し、新関脇の場所で8勝7敗と勝ち越し。5月場所も関脇で 9勝6敗と勝ち越し。
平成17年7月場所に、7日目までに6勝1敗と優勝争いをしていましたが、8日目の 普天王戦で左足関節靭帯損傷及び内反捻挫の怪我を負い、初土俵以来初めての 休場した。
翌9月場所には平幕【前頭】に陥落したが、9勝6敗と勝ち越し。
翌11月場所は小結で、2大関【魁皇・栃東】に勝って9勝6敗と勝ち越した。
平成18年1月場所には、3場所ぶりに関脇に昇進し、初日から6連勝して、 そこから2連敗しましたが、1横綱【朝青龍】、2大関【魁皇不戦・琴欧洲】に 勝って、9日目から7連勝して13勝2敗で2回目の殊勲賞を受賞した。
そして翌3月場所は大関取りがかかる場所となった。初日から10連勝し、 横綱・朝青龍と相星決戦で白鵬が上手出し投げで勝って11連勝とした。大関昇進 の目安といわれる33勝を達成した。12日目に大関・栃東戦で敗れて11連勝で ストップ。そして千秋楽に大関・魁皇戦に敗れて、朝青龍との優勝決定戦と なった。その結果、朝青龍が下手投げで勝って、白鵬の優勝にはならなかった。

大関

平成18年3月場所後の3月29日、日本相撲協会は大阪市内で番付編成会議を開き、 白鵬の大関昇進を満場一致で決めた。そして大関昇進の口上は、
「謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬように全身全霊をかけて努力します。 本日は誠にありがとうございます。」と述べた。
そして新大関として挑む平成18年5月場所では、初日から4連勝で好調でしたが、 5日目に雅山戦に黒星。しかしそこから2大関【千代大海・琴欧洲】に勝って 6日目から10連勝とし、千秋楽で初黒星を喫した雅山戦と優勝決定戦をし、 白鵬が寄り切って初の幕内最高優勝を果たした。21歳4か月での初優勝は、 貴乃花、大鵬、北の湖に次ぐ歴代4位の若さだった。
翌7月場所は綱取りがかかる場所だった。初日黒星スタートだったが、2日目から 7連勝で9日目に雅山戦で2敗目の黒星を喫した。
10日目から4大関【把瑠都・琴欧洲・千代大海・栃東】に勝って5連勝とした。 そして千秋楽で全勝の横綱・朝青龍と対戦し、寄り倒して朝青龍に勝って、 4場所連続となる13勝以上の13勝2敗で場所を終えた。
横綱昇進が有力視されたが、日本相撲協会の放駒審判部長は、 朝青龍の独走を許したという理由で理事会の招集も横綱審議委員会への 諮問も行わず、横綱推挙は見送られた。
翌9月場所は、2度目の綱取りに挑む場所だったが、初日に稀勢の里に黒星を喫し、 その際に右膝を負傷をして2連敗や3連敗などがあったのでこの場所は8勝7敗に 終わり綱取りは白紙となった。
翌11月場所は、場所直前に右足の親指の怪我や骨折などがあり、病院で手術。 退院はしたが、怪我の回復を優先させる事から休場を発表。初の全休となった。
初のカド番となった平成19年1月場所では、4大関【魁皇・栃東・琴欧洲・千代大海】 に勝って、12日目に勝ち越してカド番を脱出。その結果、10勝5敗で2桁勝利で場所を 終えた。
そして翌3月場所では、初日に稀勢の里に初黒星を喫したが、4大関に勝って2日目から 12連勝。14日目に横綱・朝青龍と対戦し、引き落として朝青龍が勝って白鵬は2敗目。 千秋楽に琴欧洲に勝って、14日目に黒星を喫した朝青龍と優勝決定戦で、その結果は 叩き込んで白鵬が勝って、2回目の幕内優勝を制した。
そして翌5月場所は綱取りがかかる場所となった。10日目終えて10連勝中で11日目から 3大関と対戦して全員に勝って、千秋楽に横綱・朝青龍と対戦して、その結果は 上手出し投げで勝って、自身初の全勝で2場所連続優勝を果たしました。

横綱昇進

日本相撲協会からの諮問後の横綱審議委員会でも「満場一致」の横綱推薦となり、 念願だった第69代横綱への昇進が決定した。土俵入りは不知火型を選択した。
土俵入りの指導は元横綱・旭富士【現・伊勢ケ濱親方】が行った。

横綱

〇2007年7月場所では横綱として初の土俵だった。
・新横綱での場所では16連勝の中で初日を迎え、白星を重ねていったものの10日目に琴光喜に敗れ連勝は25でストップした。
・12日目の魁皇戦では土俵際で魁皇が突き落としたが軍配は白鵬に上がり、物言いがついた。競技の結果は取り直しとなり、 この相撲で魁皇は負傷し、取り直しの一番は白鵬の勝利となった。
・13日目の琴欧州戦、14日目の千代大海戦との取組に敗れ、横綱として初の連敗を喫し、この時点で3敗に後退して3連覇の可能性はなくなった。
・千秋楽では(2002年9月場所の武蔵丸‐貴乃花以来、4年10カ月ぶりとなる横綱同士の対戦)朝青龍戦に寄り切りで敗れ、3連敗を喫し11勝4敗で終わった。

〇2007年9月場所~1人横綱へ~
※朝青龍が自身の不祥事のため出場停止処分となり、1人横綱となってしまった。
・初日:安馬(後の日馬富士)に敗れ、中日までは安美錦を追う展開となった。
・11日目:豊ノ島に敗れ、新入幕の豪栄道に優勝争いのトップを明け渡してしまったものの、 13勝2敗で横綱昇進後初となる通算4度目の優勝を果たした!

〇2007年11月場所~東横綱へ~
☆朝青龍が出場停止のため自身初の東横綱の座に就いた!
・この場所の初日に琴奨菊に寄り切られて黒星スタート。
・14日目に11勝2敗の相星決戦で負かした千代大海が右ひじ負傷により 千秋楽を休場したため取組を待たずに5回目の優勝が決まった!
・千秋楽結びの一番の琴光喜戦で下手投げで敗北してしまった。
=千秋楽に優勝を争う一方の力士が休場することによって優勝がきまったのは、 1927年(昭和2年)10月の不戦勝制度適用以来初めてのこと。
☆2007年、自身初となり年間最多勝(74勝16敗)を受賞!

〇2008年1月場所~朝青龍が復帰へ2横綱~
☆この場所から茶色の締め込みに変更!
・初日から好調で優勝争いトップに走り、朝青龍も白鵬に並走した。
=(2002年9月場所の武蔵丸―貴乃花以来となる東西横綱同士で13勝1敗同士の相星決戦。)
・注目の相星決戦は白鵬が朝青龍を左上手投げで勝利し、14勝1敗で3場所連続6度目の優勝を果たした!

〇2008年3月場所~四連覇なるか~
・4日目の平幕・安美錦戦で早くも敗北。
・12日目も千代大海戦に敗北。それまでの全勝の朝青龍に引き離されていた。
・しかし朝青龍が12日目と13日目で敗北。
=(1995年3月‐5月場所の貴乃花‐曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦。)
・2場所連続の相星決戦は朝青龍に右小手投げで敗れ、4連敗を逃した、、、

〇2008年5月場所~途中で怪我~
・9日目まで全勝だった安馬(後の日馬富士)戦で敗れ右足首を捻挫。
・怪我の影響のため10、12、13日目に敗れ優勝争いから脱落した。
・千秋楽に朝青龍戦で引き落とされ、敗北して11勝4敗で終えた。

〇2008年7月場所~途中から1人横綱へ~
※6日目から朝青龍の途中休場により1人横綱になった。
・12日目まで全勝、13日目の魁皇戦で勝利し7回目の優勝した!
☆千秋楽には琴欧州戦を上手投げで破り横綱昇進後初となる通算2度目の全勝優勝を果たした!
☆各場所全て優勝(全6場所制覇)を成し遂げた!
☆歴代の不知火型の横綱で年6場所制になってから、玉の海の優勝6回を上回り最多。
➡昭和以降では年6場所制以前の羽黒山と並んだ。

〇2008年9月場所~連勝ストップ!?~ ・5日目に稀勢の里に敗北(19で連勝ストップ)。
・14日目に結びで琴欧洲との対戦で上手投げで勝利し8回目の優勝!
・千秋楽も琴光喜戦で勝利し、14勝1敗で場所を終えた。
☆年間勝利数が2位の安馬ち16勝差となり、11月場所を残して2年連続2回目の 年間最多勝(79勝)を決めた!

〇2008年11月場所~初日から波乱~ ・初日に安美錦に敗れる黒星スタート。
=(序盤は相撲内容が悪く、苦しみながら勝利という状況だった)
・12日目に大関昇進を目指す安馬(後の日馬富士)に敗北。
=(優勝争いは千秋楽の本割終了時点で13勝で安馬と並び優勝決定戦へ)
・決定戦は両者白熱した相撲で白鵬が上手投げで安馬に勝利し3場所連続9回目の優勝を果たした!
☆この優勝で歴代の不知火型の横綱では史上最多タイの優勝回数となった!

〇2009年1月場所~朝青龍との優勝争い~
・初日から9連勝で4場所ぶりの土俵となった朝青龍と並んでいた。
・10日目に日馬富士に敗北し、朝青龍にリードを許した。
=(その後も全勝の朝青龍との星1つの差は変わらず、優勝争いは2人に絞られた)
・千秋楽の本割で朝青龍を寄り倒して14勝1敗同士の優勝決定戦になった。
・優勝決定戦で朝青龍に寄りきりで敗北し、4連覇は逃した。

〇2009年3月場所~朝青龍との優勝争い~
・10日目に朝青龍が日馬富士に敗北後にも単独トップを維持。
・14日目に魁皇戦に勝利して10回目の優勝を果たした!
・千秋楽も朝青龍を寄り切りで勝利し、自身3度目の全勝優勝で場所を終えた。
☆不知火型の横綱の最多記録を更新!

〇2009年5月場所~日馬富士と優勝争い~ ・12日目まで日馬富士と全勝で優勝争いトップ!
・13日目の全勝対決では日馬富士に裾払いで勝利し33連勝になった。
☆(羽黒山が持っていた取り直し制度導入後の不知火型の連勝記録を更新)
・14日目の琴欧州戦では上手投げで敗北し、連勝記録は33で止まった。
・千秋楽は朝青龍を寄り切って日馬富士と同成績の14勝1敗で優勝決定戦となった。
・優勝決定戦に臨んだが、敗れて優勝を逃した。

〇2009年7月場所~琴欧洲との優勝争い~ ・11日目に琴光喜戦で敗北し、1敗に後退。
・13日目に11勝1敗で並ぶ琴欧州との直接対決を上手投げで勝利し単独トップ。
・千秋楽まで1敗を守り、14勝1敗で11回目の優勝を果たした!

〇2009年9月場所~両横綱同士での優勝決定戦~ ・6日目に平幕・翔天狼戦で敗北し、1敗に後退。
=(その後も14日目まで全勝の朝青龍を1差で追っていた)
・千秋楽の結びで朝青龍を寄り切って勝利、14勝1敗同士で優勝決定戦へ進んだ。
・決定戦では朝青龍にすくい投げで敗れ、優勝は逃してしまった。
☆年間3場所(1月・5月・9月)の決定戦での敗戦は史上初となった。
☆14勝1敗の成績で優勝できなかった横綱の場所数としては歴代最多。
➡玉の海や千代の富士と並んでいた『4場所連続14勝以上』の記録を、 千秋楽の勝利で『5場所連続14勝以上」にのばし単独トップとなった。

〇2009年11月場所 ・13日目終了時点で13連勝と好調。
・14日目に琴光喜戦を上手投げで勝利し、12回目の優勝を果たした!
・千秋楽では朝青龍を左上手投げで勝利し、4度目の全勝優勝!
☆2005年に朝青龍が記録した年間最多勝記録84を2勝更新する86勝4敗の新記録!
☆11月場所3連覇で2009年を締めくくった。

〇2010年1月場所
・7日目に把瑠都戦に敗北・12日目に日馬富士戦に敗北(2008年11月場所以来となる2敗目)。
・13日目も本割で17連勝中だった魁皇戦に敗北し3敗目。(2006年5月場所以降)
・14日目は琴欧州戦に勝ったものの、朝青龍が日馬富士に勝利したため朝青龍の優勝が決まってしまった。
※横綱・朝青龍との本場所での最後の対戦となった。

〇2010年1月場所後~朝青龍が急遽現役引退~
☆1月場所後の2月4日に横綱・朝青龍が急遽現役引退を表明。
・そのため白鵬は3月場所からの番付は史上9人目の一人横綱となった。
・7日目に把瑠都に敗れて連勝が30で止まった。
・12日目に日馬富士に敗れて2008年11月場所以来となる2杯目を喫した。
・翌13日目も2006年5月場所以降、本割で17連勝中だった魁皇に敗れ、3敗に後退。
・14日目は結び前の一番で琴欧洲に勝ったものの、朝青龍がその後の結びで日馬富士に勝利し、 朝青龍に25回目の優勝を決められた。
☆千秋楽の結びで白鵬は朝青龍戦を7連勝とし、この一番が朝青龍と本場所で最後の対戦となった。

三賞

・殊勲賞 3回受賞
・敢闘賞 1回受賞
・技能賞 2回受賞