立浪部屋

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師匠

師匠 しこ名 生涯戦歴
立浪 耐治 小結・旭豊 364勝341敗26休

力士

【関取】
・明生(めいせい)
(-力士プロフィール-日本相撲協会)
  ・豊昇龍(ほうしょうりゅう)
(-力士プロフィール-日本相撲協会)
  ・天空海(あくあ)
(-力士プロフィール-日本相撲協会)

行司

・三役行司 木村 玉次郎

呼出し

・幕下呼出 悠斗

床山

・一等床山 床辰

師匠

●4代「立浪 弥右衛門」(富山県出身・元小結 緑嶌)
●5代「立浪 政司」(新潟県出身・第36代横綱 羽黒山)
●6代「立浪 治」(北海道出身・元関脇 羽黒山)
●7代「立浪 耐治」(愛知県出身・元小結 旭豊)

立浪部屋の歴史

〇小結 緑嶌が現役引退・襲名。
➡1915年に春日山部屋所属の元小結 緑嶌が現役引退し、4代「立浪」を襲名。
➡引退・襲名後は春日山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた。

〇4代「立浪」(元小結 緑嶌)が独立。
➡春日山部屋から独立して東京都墨田区両国に立浪部屋を創設した。
➡4代「立浪」は横綱 双葉山、羽黒山、大関 名寄岩といった多数の関取を育て上げた。
➡高島部屋を一門として迎え入れて立浪一門を形成した。

〇4代「立浪」(元小結 緑嶌)が死去。 ➡死去に伴い、横綱 羽黒山が5代「立浪」を襲名して立浪部屋を継承した。
➡5代「立浪」は1953年9月場所にて現役引退して年寄専任となった。
➡5代「立浪」は先代の弟子である大関 若羽黒や関脇 羽黒山、北の洋、時津山といった多数の関取を育て上げた。

〇他部屋から移籍。
➡1965年1月には8代「追手風」(元大関 清水川)の定年退職により閉鎖。
➡閉鎖された追手風部屋から所属力士を引き取った。

〇5代「立浪」(元横綱 羽黒山)が死去。
➡1969年10月に5代「立浪」が死去。
➡それに伴い、9代「追手風」(元関脇 羽黒山)が6代「立浪」を襲名して立浪部屋を継承した。
➡6代「立浪」は先代からの弟子である大関 旭國や関脇 黒姫山、直弟子からは羽黒山を横綱まで育て上げた。
➡平成時代に入ってからは日本大学相撲部出身者を多く迎えており、小結 智ノ花や大翔鳳など関取を輩出。

〇6代「立浪」(元関脇 羽黒山)が定年退職。
➡1999年1月場所中に元小結 旭豊が現役引退し、準年寄「旭豊」を襲名。
➡引退・襲名後は大島部屋から移籍して立浪部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた。
➡旭豊は7代「立浪」を襲名して立浪部屋を継承した。
➡立浪部屋の部屋付き親方である12代「武隈」(元関脇 黒姫山)は立浪部屋に入門していた自身の息子2人を連れて独立して武隈部屋を創設。

〇継承して初の関取誕生。
➡2006年1月場所にモンゴル出身の猛虎浪が新十両に昇進。
➡7代「立浪」が部屋を継承してからは初となる関取が誕生。

〇立浪部屋が移転。
➡2007年8月には立浪部屋を東京都墨田区両国から茨城県つくばみらい市陽光台へ移転。
➡2021年4月4日には同年2月まで常盤山部屋として使われていた台東区の建物を改装。
➡同年5月場所後に旧常盤山部屋に移転した。